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Franco et O.K. Jazz (1956-89)

'Michelino' Mavatiku Visi , guitar(1975-79)


Artist

MICHELINO & FRANCO

Title

BENEDICTION


michelino
Japanese Title

国内未発売

Date 1984/2004
Label MICHITA MMV 00102(FR)
CD Release 2004
Rating ★★★★
Availability ◆◆◆


Review

 前にもふれたとおり、タブ・レイ・ロシュローの人材発掘能力には定評があった。歌手ではサム・マングワナ、ペペ・ンドンベ、サックス奏者エンポンポ・ロワイ、ギターのディジー・マンジェクなど、70年代なかば以降のTPOKジャズを支えた数多くのミュージシャンが、かれのもとで育ち巣立っていった。

 ここにとりあげるギタリストの“ミシェリーノ”ことマヴァティク・ヴィシ'Michelino' Mavatiku Visi もそのひとり。
 68年、マングワナ、ガヴァノらとロシュローのアフリカン・フィエスタ・ナショナルを脱退してフェスティヴァル・デ・マキザールを結成。しかし、翌年にはメンバーの意見対立がもとで、マングワナ、ガヴァノとともにマキザールを脱退。72年、アフリザ・アンテルナショナルと改名したレイのグループに復帰を果たしている。

 ミシェリーノは、“ミ・ソロ”の名手といわれた。“ミ・ソロ”mi-solo とは、リード・ギターとリズム・ギターの中間的な役割を果たすルンバ・コンゴレーズならではのギター・スタイルをいう。創始者は、67年、アフリカン・フィエスタ・スキサでドクトゥール・ニコとその兄ドゥショーの2人の名人にはさまれてギターをプレイしていたドゥ・ラ・フランスとされている。

 第2次大戦後、コンゴのポピュラー音楽黎明期のスター、ジミー Jhimmy は、ふつうDとすべきところをEで調弦した。Eは「ミ」だから、この独特のチューニング方法は“ミ・コンポゼ”mi-compose という。また、ジミーはピッチを上げるために4番目のフレットのところにカポを使い、親指と人さし指で演奏した。
 このジミーのグループでギターの薫陶を受けた10代半ばの少年こそドゥショーだったのだ。こうして“ミ・コンポゼ”は“ミ・ソロ”となって、ミシェリーノへと引き継がれた。

 アフリザでミシェリーノとトリオを組んだのはロカッサ・ヤ・ムボンゴ Lokassa ya Mbongo とボポール・マンシャミナ Bopol Mansiamina だった。かれら2人はのちにコート・ジヴォワールの首都アビジャンで、サム・マングワナらとアフリカン・オール・スターズを結成。それからパリに渡ってパリ・リンガラの基礎をつくった。

 ロカッサとボポールより一足早く、ミシェリーノは、アフリザを去って、75年8月にはTPOKジャズに加入している。しかし、この移籍がフランコとレイの関係を悪化させてしまった。というのも、かねてより2人のあいだでは「メンバーの引き抜きはおこなわない」との申し合わせがあったからだ。マングワナやンドンベもレイのグループにいたが、かれらの場合はあいだに他のグループでの活動をはさんでいた。だが、ミシェリーノはじかだった。「これは露骨な引き抜きであり約束違反だ」とレイが憤ったのも無理はない。

 フランコは、TPOKジャズ結成20周年を翌年に控え、オルケストルの大幅な戦力補充を進めていた。ミシェリーノとおなじ76年加入組には、歌手のンドンベ、サックスのエンポンポらがいた。そのほか、ジョスキー、ウタ・マイ、ダリエンストなど、TPOKジャズの絶頂期を支えた主要メンバーの多くがこの前後に加入している。

 その最初の成果がLP2枚として76年にリリースされた20周年記念アルバム"20EME ANNIVERSAIRE 6 JUIN 1956 - 6 JUIN 1976"である(このうち、第1集はかつてオルターポップから「思い出の70年代」として国内配給されていた)。そして、2004年、この時期のTPOKジャズをスタジオ・ライヴで収録した映像がFRANCO & LE T.P.OK JAZZ "AU GRAND COMPLET!"(SALUMU S001)としてついにDVDリリースされた。

 全9曲約65分からなるこの貴重な映像を見て気づいたことが2点ばかりある。
 1つは、ジョスキー、ユールー、ンドンベ、ウタ・マイ、ボーイバンダ、シェケン、そしてフランコと、曲によってメイン・ヴォーカルとコーラスの編成がめまぐるしく入れ替わっているということ。それはギタリストであったフランコならではの芸当といえ、シンガーのタブ・レイにここまではできまいと思った。

 もう1つは、このこととは対照的に、バック・ミュージシャンの人数が思っていたほど多くなかったということ。ホーンズはサックス3、トランペット3、トロンボーン1。ドラムス1、コンガ1。これらにギター3とベース1が加わった計13人編成だった。「そんなのフツーだろ」と思われるかもしれないが、フランコ晩年の87年のオランダ・ライヴのときはギターとベースだけで9人もいるのだ。
 
 ギタリストは、リード・ギターがフランコ、リズム・ギターがシマロ、そして“ミ・ソロ”がミシェリーノ。シマロは後方でベースのデッカと並んでずっと控えめにプレイしているし、フランコは自身歌わなければならないは、絶えずオルケストルに目配せしなければならないはでギターに徹しきれない。となると、ミシェリーノに期待される役割が俄然大きくなる。

 DVDは、20周年記念アルバム第2集収録の、ミシェリーノが書いた'SALIMA' で幕を開ける。歌手たちのちょうど真後ろ、ステージ中央付近でフランコと並んでギターをプレイしつづける痩身アフロ・ヘアの男がミシェリーノである。
 ミシェリーノの在籍期間は4ないし5年だが、この間、かれが提供した楽曲数は極端に少ないうえ、アルバムにパーソナルの記載もなかったことから、かれの存在感がいまひとつはっきりしていなかった。だから、ときにフランコになり代わり、バンド・サウンドの要として黙々とギターを弾き続けているかれの姿は意外だった。フランコがタブ・レイとの約束を破ってまでも、かれを欲しがったのはそういうことだったのかと思った。

 さて、ミシェリーノはフランコが逮捕された79年までにはTPOKジャズを辞めているようだ。その後の足どりはよくわからないが、たぶん、かつての仲間、マングワナ、ロカッサ、ボポールらの成功に触発されてパリへ渡ったのではないだろうか。

 83年(正確には82年12月)、フランコとタブ・レイが歴史的共演をはたした「パリCHOCセッション」において、スペシャル・ゲストに呼ばれたのが皮肉にもふたりの不仲の原因となったミシェリーノだった。のべ3ヶ月間を要した「パリCHOCセッション」には、TPOKジャズとアフリザからメンバーの一部、それに外部ミュージシャンを加えた混成部隊で、“リサンガ・ヤ・バンガンガ”'Lisanga ya Banganga'「天才連盟」と命名された。

 フランコとレイのパリ・セッションはじつは都合2度おこなわれていて、2度目は83年2月に物故した“グラン・カレ”ことジョゼフ・カバセルへの追悼として同年中に実現した。このセッションは"L'EVENEMENT"「最後のイベント」として、レイのレーベルGENDIA からレコード化されCD(GENDIA/SONODISC GENCD 1003)にもなっている。このアルバムにレイが書いた、そのものズバリ'LISANGA YA BANGANGA' という曲が含まれており、そのなかでレイとフランコは自分たちのほかにミシェリーノの名をくりかえし連呼している。このことは、“リサンガ・ヤ・バンガンガ”というグループの音楽監督がミシェリーノであったことをしめしていると思う。

 ところで、フランコとレイとの最初のレコーディングが、なぜ「パリCHOCセッション」と呼ばれるかというと、フランコが新たに設立したレーベルCHOC CHOC CHOC 1983 の第1弾アルバムとしてリリースされたからである。そして、同年発売の第2弾がミシェリーノをゲストに迎えてのフランコとTPOKジャズのアルバムであった。このダブル・アルバムは、"MISSILE"(SONODISC CDS6864)として1枚のCDになっている。(フランコが書いた約13分におよぶダンス・ナンバー'PARTAGEZ' では、「戦え、戦え、田中、戦え」のコーラスが聞かれ、田中勝則さんを筆頭に全国の田中さんは必聴!)

 おそらく「パリCHOCセッション」と同時期あるいは直後にレコーディングされたのだろう。ミシェリーノ効果だと思うが、このアルバムは、数あるフランコのレコードなかでも、もっともパリ・リンガラがかったライトなダンス音楽に仕上がっている。

 そして、このセッションから生まれたもう1枚のアルバムが、本盤の元となったLP"BENEDICTION" であった。こちらはミシェリーノ本人のレーベルから84年に発売された。長いこと幻だったこのアルバムが、2004年になって、ようやくCD復刻された。"BENEDICTION" の全4曲をオリジナルとリミックス・ヴァージンでそれぞれ収録。

 売り手(ミシェリーノ)の主眼はリミックスで生まれ変わった4曲にあるようで、オリジナルの4曲はコレクターむけのボーナス・トラックとして後半にまとめて収録されている。だが、こんなCDを手にするようなのは、わたしみたいなコレクターが圧倒的だと思うのだが‥‥。ということは、みんなが聴きたいのはリミックスではなくオリジナルなのですよ。
 じっさい、リミックス・ヴァージョンはビートがより機械的で単調になって、リンガラ音楽独特のゆらぎが減退。これなら“コレクター”ならずとも、オリジナル・ヴァージョンに軍配をあげるに決まってる。

 “ミシェリーノとフランコ”の名義で、バック・バンドは“リサンガ・ヤ・バンガンガ”とある(ということは、ミシェリーノは、レイに代わっておのれを天才に同定しているのか。なんたるゴーマン!)だが、ジョスキーのヴォーカルがフィーチャーされていて事実上はTPOKジャズといっていい。

 全曲ミシェリーノのオリジナルで、TPOKジャズのアルバム以上にライトでダンサブルな肌ざわり。キイ・ワード“チカ・チカ”Tchika-Tchika が連呼される'PRINCE D'XL' など、歌は陽気で楽しいのだけれど、聴きどころはやはり後半のセベン、インスト・パートだろう。ミシェリーノはルンバ・コンゴレーズにファンクのギター感覚をもたらした先駆者のひとり。これにフランコのフィンガー・ピッキングによる滔々たるつや消しメタルのギターがからむ。くんずほぐれつ、睦み合い反発するギター・アンサンブルのめくるめくエロティシズムよ(バタイユかよ)。

 しかし、この"BENEDICTION" にしても、姉妹盤の"MISSILE" にしても、ミシェリーノ主導だったせいか、きらびやかではあっても腰の座ったところなく、過去・現在・未来の三世にわたる鑑賞に耐えうる作品群とはいいがたい。


(12.31.04)



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by Tatsushi Tsukahara